Catch Up
キャッチアップ
歳を取る、というけれど。若さは、減っていくものだ。知美はまだ五十にもなってないが、傍目には七十を超えているように見えるらしく、それは普通の女としては悲しいことなのだろうが、もはや今の知美には楽なことにもなっていた。
炊き出しや生活用品を配布する列に並んでも気遣ってもらえるし、夜に公園やバス停のベンチに座っていても、猥褻目的の男に絡まれることはほぼなくなった。
知美は、決して貧困層の出ではない。地方の町で会社員家庭の一人娘として生まれ育ち、幼い頃からピアノや書道などのお稽古事もいろいろさせられ、地元の短大にも行った。小柄でアイドル顔で、男の子にも人気があった。
歯車がズレ始めたのは、やはり就職した会社で会った男と、勢いで結婚した辺りからか。粗暴な男を男らしいと錯覚してしまうことは、知美だけに限らない。
親も最初は大いに娘をかばい、前夫に憤慨していたが、離婚してしばらく経つと世間体が悪いといい出した。地方のお嬢さんである本人も、元同級生や近所の目も気になった。
まだ若さや容姿に自信もあった知美は、親も望む再就職か再婚を目指して近隣の都市に出た。そこから男と仕事と住処を転々とするようになり、気がつけばすべてを失っていた訳だ。連絡を絶ってしまったが、親も亡くなったかもしれない。
定期的に炊き出しをやっている公園には、同じような宿無しや立ちんぼ、家出少年少女などもいて、妙な居心地の良さがあった。親しくはならないが、顔見知りもできた。
そんなある日ベンチで休んでいたら、見たことがあるようなないような女が近づいてきた。痩せて艶のない白髪と歯のない口元で老人に見えるが、同世代かもしれない。
「季節の変わり目は、ますます不安になるじゃろ。これから寒うなる、暑うなる、て」
訛りも故郷のそれに近かった女は、マキと名乗った。マキは二十年くらい、ヤドカリをしているといった。孤独で貧しい暮らしをしている老人や病人のいる部屋を探し出し、押しかけ、遠縁の者だの福祉関係者だの適当なことをいい、居ついてしまうのだ。
正当な住人である彼らの保護費や貯金を使いはするが、本人の同意を得てのことで強奪ではなく、最低限の食費や衣服などにしか使わず、虐待だの放置だのもしない。それなりに世話をして話し相手になり、一緒に外食したりもする。
だから最初はうさん臭がったり怖がったりした住人も、受け入れて頼りにしてくれるようになる。しかし本物の親戚が来て怪しんだりすれば、そっと立ち去って次に行く。
「あくまでも、家を借りるだけじゃ。自分の物には、できん」
自分はとてもじゃないが、そんな見も知らぬ他人の家に乗り込んで住み着くなどできないと思ったが。マキが今いるというアパートに連れていかれ、一緒に住むようになった。
その部屋は、身寄りのない八十過ぎの洋子なる女がいた。かなりの肥満体でおしゃべりで、いちいち嫌味をいわなければ気の済まない意地悪さもあったが、寂しがりだった。
ところがその洋子が心身ともに弱っていくのと連動し、マキがなんとなく性格や見た目まで老女に似てきた。肥満していき、おしゃべりになり、意地が悪くなった。
知美は居候が連れて来た居候という立場だが、とりあえず寝床と食べ物は手に入るようになったので、大人しくしていた。薄暗い古びた四畳半でテレビを観ていると、自分が誰だったのか曖昧になってくる。もう何十年も、ここにいたのではないかとも。
そんな生活が淡々と続くうちに、洋子はすっかり寝たきりとなり、マキもだんだん弱ってきた。たまに洋子はふっと意識を取り戻すと、同じことをいいった。
「あたしゃ、ヤドカリでなしにヒトカリ。人狩りじゃあない、人借りよ」
ある日ふと気づいたが、今度は自分が洋子に似てきている。好きな食べ物も観たがるテレビもだが、肥ってきて、おしゃべりになり、意地悪くなっていった。
洋子本人は完全に意識が混濁してしゃべることもできなくなり、マキもそれに近づいてきた。現金が尽きたので、思い切って洋子の通帳を持って銀行に行ったら、顔見知りらしい行員が、お元気になられたんですね、と簡単に引き出させてくれた。
洋子は、本当にヤドカリではなくヒトカリだった。家ではなく女の体に入り込んで乗り換え、命を繋いでいくのだ。鏡の中の自分ではない女を見ながら、元々自分は洋子で、知美なんて女ではなかったのだといい聞かせるしかなかった。
そろそろ、乗り換える女を見つけに行こう。洋子に命じられ、マキがしていたように。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
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