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キャッチアップ

地味で目立たない雰囲気の裕美子は、それに相応しい平凡な半生を送って来た中年女だと誰からも思われる。そう見られるよう、裕美子も努めている。あの頃の母のように。
今住む地方都市の片隅にあるアパートには、わりと長くいる。細々とパート仕事をしながら、ひっそり一人暮らしをしている。自分だけの部屋は、自分の臭いしかしない。
西日本の田舎町で生まれた裕美子は、物心ついてからしばらく家がなかった。親と、車上生活をしていたのだ。父のくたびれた車に生活用具を詰め込み、放浪と逃亡をした。当時は道の駅などなく、河原や空き地に停めた車の中で食べて寝た。
親の会話から、どちらにも金と異性との揉め事があるのは伝わってきた。自分が普通でない境遇にいるのも、わかっていた。とはいえ物心ついた頃からだったので、さほどつらくもなかった。たまに外食や銭湯へも行けたし、菓子や服も買ってもらえた。
親は交代で運転し、運転してない方は助手席にいた。同じく交代で片方が一日ずっと車を離れているときがあり、それは後から思えば広い意味での金策をしていたのだ。父母ともに誰かに借金し、ときには盗み、父が日雇いで働き、あるいは母が体を売った。
裕美子は後部座席で同じ絵本や漫画を飽きずに読み、拾ってきたような玩具で一人遊びをした。寝転がって窓を見ていれば、まるで空を走る家のように感じられた。
そんな生活が終わったのは、まずは父の病死による。父の正確な死の瞬間は、裕美子にはわからない。母はしばらく、父の死を娘にも気づかせないようにしていた。
「お父ちゃんは病気で、寝させとかにゃいけん。あんたも、起こさんようにな」
父は全身を毛布に包まれ、ずっと助手席にいるようになった。常に母が運転し、用事で外出するのもすべて母になった。車内には多量の消臭剤と芳香剤が置かれ撒かれたが、父の腐臭は耐え難いものがあった。けれど裕美子は、その車にいるしかなかった。
どこかの駐車場でついに異臭に気づかれ、警官が来て母は逮捕され、裕美子は施設に保護された。おそらく父は、公的機関の人達によって荼毘に付された。母が父の死を隠した動機は、今もわからない。父は母に殺されたのではなく、まったくの病死だった。
心神耗弱状態とされた母はすぐ釈放されたらしいが、そのまま絶縁となった。裕美子は高校卒業と同時に施設も出て、寮のある工場に勤めた。他人との同居はそこまで苦痛でもなかったが、当初は動かない天井や床、手足を伸ばせる寝床が逆に居心地悪かった。
飲み会の帰り、ナンパという形で知り合った大我は、自分は裕福な家の子で有名大学も出ているが、興味本位でホストをやって夜の町にハマッた、などと語った。
裕美子は、幼い頃に親は事故死して親戚宅で育ったと嘘をついたが、大我も身の上話はすべて嘘で、裕美子に近い境遇の子だった。それでも、君を幸せにしたい、などといってくれた大我に惚れた。惚れた代償として、彼の借金のカタに売り飛ばされた。
大我と結婚するつもりで寮を出て来た裕美子は地方の温泉街に送られ、同じように連れて来られた女達と狭い部屋に雑魚寝し、朝から晩まで客を取らされた。
半年ほどして、大我が許せなくてではなく、会いたくて着の身着のまま飛び出して戻ってみれば、大我は別の女と暮らし、裕美子の金で高い車も買っていた。
突如として現れた裕美子に、大我は青ざめた。裕美子は笑顔を見せ、小さい頃の車上生活の話を打ち明けた。お父さんみたいに車で街を一周してくれたら、温泉地に戻る。そういえば、裕美子を舐め切っている大我はほいほいと車を出してくれた。
「もっぺん、思い出に抱いてぇな」
車を停めた空き地で、油断しきった大我を隠し持っていた包丁で刺し殺した。
裕美子が、車を走らせ続けた。就職後、免許は取得していた。何より、ずっと親が運転するのを見ていた。なつかしい父の臭いがする大我と一週間ほど過ごし、捕まった。
母と違って死体遺棄だけの罪ではなかったので、十年ほど服役することとなった。
出所後、職も住居も男も転々としたが、ついにコロナ禍で昼も夜も仕事がなくなり、家賃を払うのが苦しくなった。男は、もう要らない。アパートを引き払い、いろんな金をかき集め、久しぶりに中古の軽自動車を手に入れた。
履歴書、住民票の要らない日雇いを転々としながら、解放感も味わった。湿った暗い四畳半より、車上生活の方がずっといい。窓から空を見上げれば、虹も超えられそうだ。
けれどときおりふっと助手席に感じる臭いは、父か大我か。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
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