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東京に来たのは秀樹が十九歳のときだから、四十歳になった今、確かに東京での暮らしの方が長くなった。周りからは、生まれついての都会っ子と思われている。
いい会社に勤めて友人知人も多く、結婚寸前までいった女も何人かいたが、どうも今一つ踏み切れないままにこの歳だ。しかし、女に不自由はしていない。ともあれ華やぐ人生は、十九歳からだ。それ以前の自分は、捨ててきた。あの陰鬱な故郷の、暗い川に。
秀樹は、その田舎においては良家の坊ちゃん、ではあった。生家はその辺りでひときわ大きな古い日本家屋で、祖父は校長先生や教育長などを務める町の名士だったし、いつもきちんと着物を着た祖母も、自宅で書道教室など開いていた。
父は役場に勤めていたが、家で実権を握っているのは祖父母、正確には祖母だった。祖父は威厳はあったが大人しく、父はひたすら影が薄かった。母はほとんど記憶になく、二つ上の兄もまた、ぼんやりとした影になっている。
どんなに祖父母や父が黙っていても、母と兄のことは幼い秀樹の耳にも入ってきた。学校でも面と向かっていわれ、仲間外れというより怖いものとして忌避された。
「おめぇ、死に損ないなんじゃろ」
祖母との確執で心を病んだ母は、幼い兄弟を連れて近所の川に入り、兄だけが死んだ。
母は実家に戻され、以来まったく会ってない。秀樹は祖父母に育てられ、小学校に上がる頃、父は再婚した。義母は穏やかな人だったが、やはり祖母とは険悪になった。
影の薄い父も思うところあったか、後妻と生まれたばかりの腹違いの弟を連れ、出て行った。こちらもそれ以来、会ってない。秀樹だけがまた、祖父母の元に残された。
秀樹にとっては、良き祖母だった。近所や教室でも評判はよく、友達も多かった。嫁にだけ、鬼になるらしい。兄の墓は近所にあったが、兄は今も川にいる気がしていた。
そんな暗い生い立ちもあるし、田舎町では色白で女顔なのは軟弱でしかなく、勉強はそこそこできたても引っ込み思案な性質では、クラスの底辺に置かれた。
ぐれることも引きこもることもなく、友達もなく、ただ陰気な奴として地元の学校と家を往復した。本当の自分は、兄と一緒に川で死んだ気もしていた。
あの川は、昔から幽霊話が伝えられていた。秀樹の兄などではない。その幽霊談は、皆無に近い。川に出るのは、小太りでピンクのパジャマを着た中年女だという。
幽霊の定番は、白い服の痩せた若い女だろう。なかなか異色の幽霊だが、あの川でそんな女が死んだ事件などなく、なぜそんな噂があるのか、そこのところも怪談といえた。
ともあれ高校生のとき祖父が亡くなり、祖母と二人になるのにうんざりした秀樹は、東京の大学に進みたいと初めて自分の意志を通した。すっかり萎んで干からびた祖母は、許すしかなかった。そして秀樹は、東京で自分を変えた。
都会では自分の容姿が女受けするのを知って自信をつけたのもあるが、祖母から離れて曇天が晴れたのだ。頑として帰省はしなかったが、祖母は毎日電話をしてきた。
「卒業したら戻ってきて、地元で就職してぇな。お祖母ちゃんを捨てんとってぇな」
いじめられっ子の冴えない自分に戻るのもまっぴらだし、何よりあの祖母とあの陰鬱な家で暮らすのは嫌だ。あるとき酔った勢いで、はっきりといってしまった。
「お祖母ちゃんは、わしの人生を狂わせた。兄ちゃんを殺したも同然じゃし」
その電話を切った翌日、祖母は自死を遂げた。あの川に、一人で入っていったのだ。
連絡は、絶縁状態にあった父から来た。故郷で十数年ぶりに会った父と、寂しい葬儀を済ませた。義母と腹違いの弟は、来なかった。ある程度の金を父にもらい、後始末はすべて任せ、またすぐ東京に戻った。再び、そこから父の一家との連絡は途絶えた。
そんな秀樹が最近、ある女と深みにはまった。同世代で故郷も近い信恵は、見た目も暮らしぶり」も何もかもだらしないのに、妙に惹かれた。子どもの頃、親に心中の道連れにされ、自分だけ助かって施設で育った、といった話に親近感を持ったのもある。
休みの日はずっとピンクのよれよれのパジャマ姿で、悪酔いして悪態をつく信恵。
「ふざけんな、あたしと同じ死に損ないの癖に。捨てたら地の果てまで追うてったる」
痴話喧嘩の後、大イビキをかきながら寝入ってしまった信恵を確かな殺意で見下ろすうちに、故郷の川に出る幽霊はこいつじゃねぇんか、殺すのはわしか、時系列は変じゃがそうに違いないで、という気がしてくるのも、離れ難い理由の一つかもしれない。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
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