Catch Up
キャッチアップ
あれはまだ良平が生まれ故郷の田舎町で、なんでもない子どもとして暮らしていた頃のことだ。有名な指名手配犯だった男が、その町で見つかった。ただ、すでに死んでいた。
中村という殺人犯は各地を転々とした後、どんな経緯かはわからないが良平の住む町に流れ着いた。そして駅前のパチンコ店で知り合った老婦人と、いい仲になる。
老婦人はかなり前に夫を亡くし、子ども達とは年に一度くらいしか会ってなかった。孤独といえばそうだが、駅前の一軒家に暮らし、さほど困窮はしていなかった。
その中村が老婦人宅で急死し、死亡診断書の手続きをしているとき、中村の身元がまったくの不明、老婦人に語っていた名前も経歴も嘘であるのがわかる。
警察が来て調べた結果、中村は指名手配犯だと判明した。全国ニュースにもなって老婦人も驚いたというが、なんとなく本当のところは感じ取っていたのではないか。嘘だとわかっていても、好きだから嘘ごと受け入れたのではないか、そう噂された。
そして良平はどこでどう妙な路地だか裏道だかに迷い込んだか、中村と同じように殺人で指名手配される身となった。殺意はなかった。酔って路地裏で見知らぬ男と揉めた。まさか、あの程度の暴力で死ぬとは思わなかった。そんな言い訳は、通らない。
例の老婦人みたいに、すべてを承知の上で匿ってくれた女もいたが、定住はできなかった。死なせた男の幽霊に、悩まされたことはないけれど。
気がつけば六十も近くなり、訳ありの者ばかりがひっそり隠れ住む、廃屋のようなアパートに住み着いたが、そろそろ日雇いの仕事もきつい。不整脈や片頭痛に苦しむようにもなり、食わせてくれる女も途切れた。安い家賃すら、払うのに困るようになった。
そろそろ自首しようかとまで追い込まれていた頃、たまに行く安い飲み屋に立ち寄ったら、妙に気が合う女に会った。おそらく同世代、もしかしたらちょっと上かもしれない。
若いときはそれなりに可愛かっただろう、と想像できる雰囲気だった。理香という名前は、きっと偽名だ。理香は、言葉の訛りも良平に近かった。
「うちの田舎に、妙な夫婦がおったわ。おばあちゃん、というてもたぶん今のうちらくらいじゃな。子どもの頃の大人は、特に昔の田舎の人らは老けとったしな。 そのおばあちゃん、旦那は戦死しとったけど、洋裁に雑貨商にとけっこう稼いで、いい暮らしをしとった。そこにあるときから、息子みたいな男が住み着いたんよ。 子ども心にも、不穏な空気をまとった色男じゃった。おばあちゃんは、その人を旦那じゃというんじゃ。しかも新しい旦那じゃなしに、戦死した旦那の魂がそっくりそのまま、その男の中に入り込んどるから、これは旦那じゃといい張るんよ。 ある日ふらっと訪ねたきたその男が、旦那のあらゆる生い立ちや友人知人を知っとって、二人しか知らん新婚当時の話も寸分違わずいえたって。じゃけど旦那は戦死したことになっとるけぇ、死んだら別人の名前で葬られたみたいよ。 なんか知らんが、うちはこのおばあちゃんがうらやましかったな。究極の愛の形じゃろ」
会ったときから、今後この理香と暮らすと予感した。そして理香に看取られ、死ぬ。いや、もしかしたら自分が、正体不明の理香を看取るのかもしれない。
「なぁ、うちの故郷に戻って一緒に暮らそうよ。よぼよぼじゃけど、まだお母ちゃんは生きとるんよ。一軒家もあるし、田舎は生活費も安いで。空気もええよ」
私も家賃を踏み倒すけぇ、と朗らかに誘ってきた。そして二人は、理香の軽乗用車に身の回りの物だけを積んで出発した。真っすぐ理香の実家を目指すはずだったが、新婚旅行も兼ねようと、あちこち当て所なく回った。
道の駅やドライブイン、安い駐車場などに停め、車内で寝た。家賃は要らなくても、ガソリン代や食費はかかる。そのうちに、理香がある町の倉庫でバイトに雇ってもらえた。
気がつけば車上暮らしをしながら、一年が過ぎた。良平の体調は徐々に悪化していったが、病院に行く金はないし、指名手配犯だ。ひたすら、車中で休んでいるしかない。良平はついに立ち上がることもできなくなり、下の世話まで理香にしてもらうようになった。
「うち、幸せじゃで。このままあんたと永遠に一緒におる。あんたが死んでもな」
あの中村も匿ってもらったのではなく、こうして監禁され飼われていたんだとわかってきた。中村は死んですぐ解放されたが、おそらく自分は死んで腐ってミイラ化、白骨化しても、この車に乗せられ続けるのだ、とも。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
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