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車でいえばF1、牛肉でいえばA5。そんな最高峰の肉体を持つ美女優のセックスの秘密を、ここに大公開!
2000年代初頭、B94、Hカップの爆乳で水着グラビア界をブイブイいわせていたMEGUMI(41)が、再ブレイクしている。巨乳グラドルぞろいの芸能事務所『イエローキャブ』の中でも、彼女のデカパイは異次元の存在感があったが、
「今春、彼女が出版した美容本『キレイはこれでつくれます』(ダイヤモンド社)が、バカ売れ。 数ある美容法の中から彼女が厳選した“86のコツ”を伝授。コスメの紹介の他、“乳房全体を「フワッ」とさせるバストマッサージ”“色気のある『おしり』のつくり方”や“膣トレ”にまで言及しているのが人気の秘密です」(女性誌記者)
ちなみにバストマッサージは、片手で乳房の下を支え、もう片方の手で乳房に円を描く「バストくるくる」他、4種類。デリケートゾーンは、専用のせっけんで洗うと良いとのことだ。
グラドル時代は、あか抜けない印象もあったMEGUMIだが、ロックバンド『Dragon Ash』の降谷建志との結婚と出産を経て、今ではすっかりイイ女に。
「おっぱいはデカいまま、顔と体つきがシュッと引き締まったのだから、言うことなしですよね」
と言うのは芸能ライターの織田祐二氏で、
「グラドル時代の彼女に取材後、一緒に写真を撮ったとき、いきなり腕を組んできて、胸をギュッと私に押しつけたことがありました。あの感触、今でも忘れてません!」
他にもスター女優には美貌に加え、ナイスバディの持ち主が多い。そこで、昭和・平成・令和の3時代、日本男児をフル勃起させ、一度は抱いてみたいと思わせた“性春マドンナ”の肉体、名器の魅力に迫った!
同じイエローキャブの大エースだったのが、小池栄子(42)だ。B91、Fカップ“メロンパイ”をひっさげてナンバーワン水着グラドルになった彼女は、バラドルを経て女優に転身した。
「最初は水着になるのを嫌がってたんですが、01年に『グラドル番付』の横綱に選ばれて覚醒。同じ時期に井川遥が台頭したこともあって、がぜんヤル気になった。その後の小池は無双でしたね」(前同)
彼女のほうが一目惚れし、プロレスラーの坂田亘と07年に結婚。自ら「私は極上のM」と言う通り、尽くし型の女房として知られる。
「グラドル時代は、ドSキャラでしたけどね。バック好きを公言している坂田に、おっぱいを揉まれながら、バックでガンガン突かれている小池の痴態が目に浮かぶようです」
と妄想を膨らませるのは、女優ウォッチャーの下関マグロ氏だ。
ここで昭和のナイスバディ女優を振り返ってみよう。
1973年、映画『同棲時代-今日子と次郎-』で鮮烈なフルヌードを披露したのは、由美かおる(72)。
西野バレエ団のメンバーだった彼女は、歌手兼ダンサーとして人気だった。
「ミニスカに白のロングブーツ、ショートヘアの彼女がダイナミックに歌い、踊る姿は若さにあふれてましたね」(ベテラン芸能記者)
そんな由美が男と同棲する今どきの女の子にふんして、全裸のベッドシーンに挑んだのだから、当時の衝撃は想像がつくはずだ。
「あおむけになっても型崩れしない、水蜜桃のような美巨乳でしたね」
と前出の下関氏が言う。
その後、『水戸黄門』(TBS系)で合計204回もの入浴シーンを披露してくれた彼女。上から86・58・86のスリーサイズは、10代のデビュー時から変わっていないという由美は、芸能界“奇跡の人”なのだ。
紅白にも出場した人気歌手だった五月みどり(83)は、熟女になってからヌードを解禁。映画『五月みどりのかまきり夫人の告白』(75年)で、待望の全裸の濡れ場を見せてくれた。
「今は死語かもしれませんが、彼女の小柄でムチムチした体はトランジスタ・グラマーといわれたもの。 ほどよく実ったおっぱいとヒップが、ソソりました。ちょっと鼻にかかったアヘ声が、また色っぽいんですよね」(前同)
78年、大学在学中に深夜のお色気番組『11PM』(日本テレビ系)のカバーガールとしてデビューしたのは、かたせ梨乃(66)。
彼女の90センチ超級のバストと長い手足は、欧米のピンナップガールにも引けを取らなかった。
「秋葉原にあった家電店『ラオックス』のCMで、白のロゴ入りTシャツを着た彼女が、ひたすら、おっぱいを揺らしながら踊る姿に圧倒されました。 かたせの日本人離れしたスタイルのよさは、和製ピンナップガールそのもの。新たな時代の息吹を感じさせてくれました」(同)
そんなかたせが、バストトップもあらわに濃厚な濡れ場を演じるようになるのは、映画『極道の妻たち』(86年)以降のこと。ありがたや、ありがたや……。
かたせ同様、脱ぎっぷりのよさで知られる原田美枝子(64)は、映画『大地の子守歌』(76年)で、とても10代とは思えない爆乳を披露してくれた。
「釣り鐘型の巨乳は、モノが違いましたね。瀬戸内海に浮かぶ小島にある、娼家に売られた娘にふんした原田の野性的なまなざしと、ぶっといおっぱいは圧巻でした」(映画ライター)
大きい人は若い頃から……とは彼女のことだろう。
熊本大学3年生だった80年、ミノルタ一眼レフカメラ『X-7』のCMで青ビキニを披露。時代の寵児になったのが、宮崎美子(64)。
彼女が木陰で、おずおずとジーンズとTシャツを脱ぎ、水着になるというシンプルなCMだったが、
「かがんだ拍子に見える、たわわな胸の谷間と、ややポチャのおなか、恥ずかしそうなほほ笑みが、なんとも魅力的でしたね。彼女の今があるのも、あのCMのおかげと言っても過言ではないでしょう」(下関氏)
CMソングの歌詞ではないが、原石の輝きを見せていた宮崎なのだった。
2020年には、自身初のカレンダーで、40年ぶりのビキニを披露し、あの名場面をほうふつとさせてくれたのも記憶に新しい。
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