Catch Up
キャッチアップ
田舎から都会に出て来た人の驚きは様々だが、金持ちに見えて貧乏、貧乏に見えて金持ち、といった人達がいることは、驚くことの中に必ずといっていいほど数えられる。
田舎だと、いかにも金持ちは金持ちらしく、貧乏人は貧乏人らしく暮らしている。
二十歳の頃、ギャンブルの借金で夜逃げして上京してきた幸弘も、同じような境遇でネットカフェなど転々としているその日暮らしのバイト仲間が、流行りの服を着て高いスマホを持っていることに、激しく都会を感じた。
そんな彼が割と長く居ついているアパートの一階の端に、数年前に越してきた老婦人が、五千万以上の現金を傍らに置いて孤独死していた、という話を聞いた。
町外れの荒涼とした景色に埋没するアパートで、老婦人はほぼ外出せず、訪ねて来る人もなく、日がなテレビを観ていたという。二階に住む幸弘も、ちらっと一、二度しか見ていない。全体的にくすんだ灰色っぽい老婦人は、壁の染みにも同化していた。
普段はあまり近所付き合いもない住人達も、敷地内であれこれ顔を寄せて噂しあった。
「そんな金を持っとって、なんでこんな安アパートにおったんじゃ」
幸弘はついうっかり、自分も住むアパートの人々に故郷の言葉で口を滑らせてしまったが。彼らは苦笑し、誰かがこんなふうにいった。
「こんなアパートにそんな大金のある人がいるとは思われなくて、安全だからだろ」
「特にあの婆ちゃんの部屋は、外から簡単に覗ける一階にあって、ゴミ屋敷状態なのが見えてたもん。泥棒除け、あるいは遺産狙いの親族除けにそういう体にしてたのかもな」
そうしてどこからか、老婦人は片手の指が全部なかった、という話が漏れてきた。
「もしかして、婆ちゃん自分の指を切っちゃあ保険金もらっとったとか」
居酒屋のバイト仲間にその話をしたら、すぐに首を横に振られた。
「自分の指を切って保険金詐欺をするような奴は、すぐにギャンブルや酒や遊びに使って貯金したりしない。その婆ちゃんの指は本当に事故で、保険金も正当なもんだろう」
婆ちゃんに可愛がられてりゃ、遺産としてもらえたかな。わしももう四十近いけぇ無理か、などとどうにもならないことを想像しつつ、幸弘はふと幼い日を思い出す。
今は主に肉体労働のバイトを転々としている彼は、幼い頃は何不自由ない坊ちゃまの暮らしをさせてもらっていた。それは事実だ。あまり、周りの人にはしゃべらないが。
父の会社が倒産し、見栄っ張りの父は貧乏暮らしは耐えられないと、一家心中を図ろうとしたのだ。子ども心にも、父の鬼気迫る雰囲気と母の危機感は伝わってきていた。
父は母と幸弘を車に乗せ、母は彼を膝の上で抱き、なんとか隙を見て逃げようとしていた。車に乗らない、といったら、その場で殺されるかもしれないと母は恐れたのだ。無言で暗い高速を走っているとき、幸弘はジュース飲みたい、とぐずり始めた。
本当に飲みたかったのではなく、なんとか車から出る隙を見つけたかったのだ。母もこれがチャンスと、強硬にドライブインに停めるよう迫った。
父も、息子に最後は好きなジュースくらい飲ませてやりたい、と考えたのか。母は死の覚悟を決めた顔をしながら、幸弘を抱いて当然ながら財布を持って駐車場に降りて……そのまま猛烈に走り出した。あのときの緊迫感、今も思い出すと汗が出てくる。
たまたまそこにいた親切なトラック運転手が、暴力をふるう旦那から逃げている、と訴えた母と幸弘を別のドライブインまで送ってくれた。そこで公衆電話に飛びつき、母方の祖父に来てもらい、そのまま母の実家に匿われ、高校を出るまで面倒を見てもらった。
意外にも父はすんなり、離婚に応じた。「おどれは、殺人未遂で訴えるで」みたいなことを祖父母がいったのかもしれない。その祖父母も、今は亡い。
父は妻子に逃げられた後、あっさり家に戻っていた。一人で死ぬ気はなかったようだ。
そして父はすぐ、再婚した。そのときわかったが、父にはもう一つ家庭があった。
しばらくして、その女と腹違いの弟は焼死してしまう。火の不始末とされたが、父だけ生き残った。祖父母や母が夜中にひそひそ話しているのを、寝たふりをして聞いていた。
「あいつまた、保険金かけやがって。そっちの妻子は、まんまと死なせたんじゃで」
それを聞いて、ああやっぱり父は妻子だけ死なせて、自分は死ぬ気なかったんだ、とわかった。ちなみに父はその後、大金を持って行方不明になったままだという。
さっさと使い果たしてしまったか、あの老婦人のような最期を迎えたか。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。