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岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第8回「溺死者の海の歌」

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岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第8回「溺死者の海の歌」

 三十を越えた陶子の両親は彼女が幼い頃、離婚していた。その頃、一家は海辺の文化住宅に暮らしていた。少し歩くと寂れた砂浜があり、腐臭が混ざる潮風が吹いていた。

 溺死者の声や海の怪物の叫びが聞こえると、陶子は怯えるのではなくどこかときめきながら、耳を澄ませていた。遠目にはすべて同じに見える、昭和の半ばに建った小さな木造平屋の群れ。湿った板の間と、砂がボロボロ落ちてくる壁。曇りガラスと錆びた脆い鍵。

 すべて建付けの悪い戸口や窓。汲み取り便所の臭いは、潮風に混ざる。

 やたら近所には、老人と病人がいた。みな親戚みたいで、貧しい人ばかりだが悪い人はいなかった。失業と病気と借金、家出などは日常のものだったが、噂話になるとしても長らく続くものではない。しかし陶子の家の離婚は、けっこう続く噂話となった。

 陶子の親の離婚原因は母の浮気とも、父の暴力ともいわれていた。どちらも事実だ。

 夜の街で働いていた母は帰宅が朝方で、こそこそ隣の家に電話を借りにいっていたのも知っている。父が狭い家の中で母を追い回し殴りつけていたのは、よく近所から助けも苦情も来たし、警察を呼ばれたこともある。

 幼い陶子は泣きわめいたりせず、どこかの隅にじっとしていた。あの頃から陶子は、ただ空っぽになってやり過ごす、逃避を覚えていた。じっとしていれば家の中の嵐は治まり、潮風に乗る死者の声も遠ざかる。陰気な海の歌は、確かに眠りに誘ってくれる。

 やがて陶子は母と、母の故郷に近い町に越した。繁華街の外れで、三軒が繋がっている文化住宅が何棟かあった。昔の家より広く感じられたのは、父がいなくなったからだろう。

 ただ、隣近所との交流は途絶えた。見かけることはあっても、関わりは持たない。

 母はやっぱり、夜の店に勤めた。ここでは大っぴらに、自宅に男を連れ込んでいた。変わらず陶子は、隅っこにじっとしていた。たまに、昔の海の音や死者達の声が聞こえた。

 小学校を出る頃どういう経緯があったか、父と母はよりを戻した。父が泊まりに来たり、元通り三人で近隣に遊びに行くようにもなった。長い空白を置いて再会した父は、見知らぬおじさんのようにも感じられ、打ち解けるのにちょっと時間がかかったけれど。

 中学を出る頃、陶子には妹が生まれてしまう。それを機に籍を入れ直し、一家は近隣では最も開けた街に引っ越した。歳の離れた妹は可愛く、傍目には幸せな家族に映った。

 しかし徐々に、父の陶子に対する態度が厳しくなっていく。ちょっとの口答えで本気で殴られ、口答えしなくても風呂場で冷水を浴びせられ、夜中に締め出されたりした。

 母の勧めで、寮のある高校に入って家から離れた。卒業しても戻らず、そのままアパートを借りて一人暮らしを始めた。仕事は、母と同じく水商売などを転々とした。

 彼氏はたいてい父に似ていて、ささいなことで喧嘩になる。そして、すぐに去っていった。陶子は後を追わない。すべて、故郷の潮風が連れ去っていく。

 孤独な陶子は、妙な癖と楽しみができてしまった。家の中にいるときは、常に大きな声で独り言をいっている。独り言というより、誰かと対話している感じだった。

 『ごはん食べるん』『まだお腹すいとらん』『お風呂に入ろうや』『それより眠てぇわ』……みたいに、延々と故郷の言葉で自分に話しかけ、自分で答える。

 そうこうするうちに、自分の口から自分ではない人の言葉が出てくるようにもなった。

 歌えないしゃべれないはずの英語のラップを流暢に歌ったり、江戸時代生まれの人みたいな古風な武家の言葉をしゃべったり、幼児の片言しか出てこなくなったり。

 さらに赤ちゃんの大きさの人形を買ってきて背中にくくりつけて散歩や買い物に出かけ、近所の人達に怖がられ避けられるようになった。

 変だといってくれる人は、いなかった。ただ一人、男の一人が未練を持っていたようで、不意に訪ねて来た。彼はしばらく様子をうかがい、陶子の変さに気づいた。

 彼が乗り込んできて真摯に向き合ってくれたおかげで、陶子は奇行も収まった。彼と元の鞘に収まったが、完全に封印していた記憶も掘り起こした。

「妹は、私が父との間に生んだ子なんじゃわ。親が離婚したんは、父が私を自分の子じゃあねぇ、つまり母が浮気してできた子じゃと、疑い始めたからだったんなぁ。じゃけぇ私を女として見て、妊娠させることもできたんよ」

 久しぶりに、故郷の潮風が耳元で鳴る。父の暗い声がして父も死んだのだとわかり、もう会うこともないであろう娘が今年、陶子が出産した歳になったなと思い出した。

【岩井志麻子先生のプロフィール】

  • 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
  • 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
  • 岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第8回「溺死者の海の歌」

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