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千春が中学生の頃までは、三人の子ども達の中で最も良い子、賢い子、といわれたのは姉の康子だった。親にも近所の人達にも、先生や同級生にも。
妹の千春、弟の英一が不良、落ちこぼれと呼ばれる子だったわけではなく、何もかも平均的で目立たない、いってみれば普通の子だった。康子は活発で大人びていて、勉強もわりとできる方で、すらりとした体型もあって美人といわれていた。
千春にとって康子は、自慢でもあり引け目でもある存在だった。姉が弟妹を、できない子扱いして何かと世話を焼きたがり支配したがるのは、千春と英一は態度には出さなかったが、屈辱と屈折を抱えてはいた。
地方の小さな町では、親もごく普通の人達だった。家はそこそこ立派な庭付き一戸建て。子どもは三人とも、そんな家庭に相応しい人生を送るはずだったのに。不幸の始まりは父が脳出血で倒れ、あっけなくその日のうちに急死したことだろう。
生命保険などで家は維持できたが、長らく専業主婦だった母はいきなり働けないと泣くばかりで、英一が進学をあきらめて就職し、一家を支えることとなった。康子はバイトしながら高校に通っていたが、いきなり家出同然に上京してしまった。
当時はスマホ、SNSといったものは存在せず、突然いなくなったと思ったら、どこからかけているかわからない電話で一方的にまくし立てられ、切られた。
「東京に居る。芸能人になる。ちゃんと家もお金もあるけぇ、心配せんといて」 母は父の死後からずっと腑抜けたようになっているし、兄も仕事で手一杯、千春はまだ子どもで、どうすることもできなかった。そして康子が芸能人として華々しく活躍することは、いつまで経ってもなかった。
なんとか東京で生きてはおるんじゃろう、賢くてしっかりしとったし、と楽観的になるしかなかった。そうこうするうちに、母も癌に罹って半年ほどの闘病後、亡くなった。
千春もいくつか勤め先は変わったが、特に理由もなく独身のまま、五十を過ぎてしまった。兄は隣県に就職して結婚して離婚して、実家に戻ってきた。兄も新たな仕事を見つけ、中年の兄妹の二人暮らしは、特に何事もなく穏やかに過ぎていったのだが。
出て行ったときと同じく、唐突に姉が帰ってきた。外見は別人のような変貌は遂げておらず、いなくなっていた年月分だけを加えた容姿でしかなかったが。
「道路工事の音が、うるさすぎる。隣の騒音もひどい。あれはうちへの嫌がらせじゃ」 常に刺々しく、被害妄想に囚われ、いなくなってからは物置にしていた二階の四畳半に戻るなり籠城し、英一の金と千春の世話を当てにする、いや、強いるようになった。
東京でどのような生活を送っていたか、本当に東京にいたのか、何もかも都合の悪いことは口を噤むのでわからなかったが、とりあえずこのまま康子が不機嫌なまま二階の四畳半に居座り続け、弟妹が死ぬまで面倒を見なければならないのは確定しかけていた。
近所周りには、康子は東京の大学に行ってそのまま就職して結婚したことになっていた。幸いといっては何だが、帰ってきてからまったく外出しないので、近所周りで噂になることもなかった。康子は相変わらず、家にはいない人、のままなのだ。「このまま、食い潰されるのはかなわんで、金もわしらの人生も」 そして弟妹は協力し、二人がかりで寝込みを襲って姉を絞殺した。
腐敗臭でいろいろ露見するのは、このような事件では定番なので、姉の箪笥の中身を全部捨て、死後硬直が始まる前に詰め込み、ホームセンターで買ってきていた植木鉢用の土、そして消臭剤を詰め込み、強力な接着剤とテープで厳重に封印した。
何年も気づかれず、白骨化している頃に開封し、姉を掘り出した。土も捨てて簡単に骨を洗って箪笥も処分し、姉は布団に転がした。すらりとしていた、体型の面影はあった。
弟妹のどちらかが先に自宅で死んだら、遺された方は医者や葬儀会社、場合によっては警察の人に、こう言い訳、説明するのを決めた。
「整理のため久しぶりに、二階の姉の部屋へ入って驚いた。失踪したはずの姉が、白骨化していた。失踪したのではなく、ずっと二階にいたのに、本当に気づかなかった。姉がいなくなったと思った日から、私らは二階に上がらなかったので」 もう姉は臭わなくなったので、久しぶりに二階の窓を開けた。四畳半に吹き渡る風は爽やかに、白骨の隙間や頭蓋骨の眼窩を通り抜けていった。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
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