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大きいことはいいことだ。魅力的な双丘を持った美女たちの、華麗なる性遍歴を一挙に大検証する!!
ボイン――それは男のロマンであり、癒しである。ピンク映画を中心に活動する脚本家の小松公典氏は、男がボインに惹ひ かれる理由を、こう分析する。「結局、ボインとは分かりやすい性的なアイコンなんだと思います。僕の場合、子どもの頃に街角で見かけた洋ピン映画のポスターが原点。外国人女性の巨大なおっぱいで覚醒しました」
その言葉の語源となった“元祖ボイン”といえば、朝丘雪路(享年82)だ。 誕生は1967年、お色気要素たっぷりの昭和の深夜番組『11PM』(日本テレビ系)でのことだった。「大橋巨泉さん(享年82)が、朝丘さんの弾力のある大きなおっぱいを指して、“ボイン”と表現。それが流行語となり、胸の大きな女性や、大きなバストそのものが、“ボイン”と呼ばれるようになったんです」(放送作家)
当時、朝丘のバストは98センチもあったという。 彼女は、73年に結婚した津川雅彦(享年78)とのおしどり夫婦のイメージが強いが、実はこの2人、なかなかスキャンダラスな夫婦だった。「朝丘さんはもともと医師の男性と結婚しており、子どももいました。津川さんは、結婚前にインドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人だったデヴィ夫人と不倫騒動に。そんな2人が出会って、朝丘さんが夫と子を置いて離婚。やがて、夫婦になるんです」(スポーツ紙記者)
そして2人は、死別するまで夫婦であり続けた。「朝丘さんについては、あのプレイボーイの津川さんが、長年愛した体だという点でも、幻想が膨らみますね」(前出の小松氏)
一方、ボイン黎明期の67年に放送された『ウルトラセブン』(TBS系)のアンヌ隊員役で、強烈な着衣エロスを見せつけたのがひし美ゆり子(72)だ。「実は、別の女優が直前に降板し、代役としてひし美さんが急遽抜擢されたので、衣装が撮影に間に合わなかったんです。ウルトラ警備隊の制服は彼女には小さすぎて、90センチはあるおっぱいが強調される結果になりました」(前出の放送作家)
彼女はもともと東宝の女優だったが、『~セブン』の後、72年に専属契約が切れてからは、他社映画でもたびたび裸体を披露した。「当初は、東宝を離れると同時に、女優も辞めるつもりだったそうですが、『週刊プレイボーイ』にヌード写真が掲載されると大騒ぎに。個人的に撮影を許したカメラマンが無断で写真を売り、姿をくらましたと報じられました」(芸能記者)
この騒動で状況は一変。「脱ぎっぷりのいいボイン女優として映画出演オファーが殺到したんです。大島渚監督から『愛のコリーダ』への出演オファーもあったそうですが、周囲に相談すると“出たら大変なことになる”と助言され、断ったんだとか。ひし美のナマ本番が幻に終わるとは、実にもったいない!」(前同)
その後も女優業は順調だったが、突如、お見合い結婚し、引退する。「芸能活動に未練はなかったようです。しかし、ほどなく離婚し、その後、30代前半で8歳下の台湾料理人と再婚。台湾料理店をオープンしました。 今はツイッターで、マメに日常を報告しています」(同)
70年代、若者を夢中にさせたボインといえば、ハワイからやって来たアグネス・ラム(63)である。「愛らしい顔に不釣り合いな、90センチのバストは、ヤシの実を2つ並べたようでした」(出版関係者)
日本の芸能界での絶頂期は19歳だった75年からの数年間で、83年には引退。芸能活動に欲はなかった。「実は、その後に結婚したハワイ在住の米国人男性とは、中学生の頃から交際していたとか」(前同)
青田典子が20年越し愛を成就――懐かしのボイン女神
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