Catch Up
キャッチアップ
故郷には、いい思い出がない。できれば帰りたくないし、消滅してほしいとすら願う。
けれど美穂は、今住む華やぐ街の友達や知り合いには、そんなことはいわない。
「故郷には家族だけでなく親戚も友達もたくさんいて、お世話になった恩師や先輩だった人がたくさんいるし、みんな私の帰省を楽しみにしてくれているの」
違う。すべて嘘だ。美穂の本来の故郷は南端の島だが、幼い頃に父が殺人事件を起こして居られなくなり、母は子どもらを連れて遠縁を頼り、本州の地方の寂れた、しかし故郷よりは何もかもがましなはずの町にやってきた。何の変哲もない、田舎町だ。
ネットなき時代、父の事件を知られることはなかったが、遠縁の人が貸してくれた家は掘っ立て小屋で、持ち物の粗末さ服装の貧しさとともに、いじめの対象となった。
さらに母は体を売っている、兄は反社会的組織に入っている、姉も母と同じことをしていると噂され、それは事実だった。美穂は男の子達には性的ないじめを受け、女の子達には徹底した無視をされた。不良の世界にはあまり馴染めなかったが、関係を持った男は何人もいた。悪いことを手伝わされたし、こちらももっと悪いことを手伝ってもらった。
どうにか、地元の中学までは通った。近所の年配男性だけが美穂を気にかけてくれ、食べ物や文具など買ってくれた。そして美穂は、卒業式を待たず都会に家出した。
何も持っていなくても、若い女というのはそのものが武器にもなる。暗いお定まりの生き方、悪い定番のような人生。体を売り、だましだまされ、流れ流れた。
三十半ばを過ぎて客が減り始めた頃、幸運にもたまたま勤めた店で老いた金持ちに気に入られ、彼の死後はちょっとした遺産を得た。そこから美穂は、変身する。四十の手前でネットビジネスで当て、SNS世界ではアイドル的存在となるのだ。
やがて現実世界でも、セレブに化けた。干支を二回りサバ読みするため、美容整形で顔の皮膚を引っ張れるだけ引っ張った。そのためか、寝ていても瞼は開いているそうだ。
そんな美穂が最後に故郷を見ておく気になったのは、世界的富豪が集うことで知られた東南アジア某国に、現地の金持ち老人の後妻として移住が決まったからだ。外国人の旦那様は、美穂の本当の過去など気にしない。彼自身も、黒い過去が山盛りなのだ。
とりあえず、新幹線が停まる県庁所在地の駅に降り立った美穂は、故郷の町まではタクシーに乗った。年配の運転手に、とりあえず故郷の町の駅までと告げた。
地方でも、何か月か見ないと景色が変わっていることはよくある。ビルがなくなったり、新しい店ができていたり。けれど見覚えのある侘しい商店街は、時が止まったかのように美穂が中学生の頃から何も変わりないように映った。
家族も離散し、実家は取り壊された。もっと、壊してきた何かもある。でも、ここの奴らを見返せる身分になれた。永遠に、ここともここの奴らともお別れだけど。
なんともいえない気持ちで平坦な道を通り抜けているとき、驚くようなものを見た。
見覚えのないビルがあり、屋上に巨人がいるのだ。最初は何かの宣伝の人形、妙なセンスで作った銅像、そんなもんだと思った。それにしては、禍々しすぎる。
人形をいったんバラバラにして、雑に適当に、いや、明らかに悪意にも近い意図をもってつなぎ合わせたようだった。本来は頭がある位置にお尻が後ろ向きに置かれ、手がある場所には足がぶら下がり、足があるはずの箇所には手があった。
そして下腹部に、人と獣を混ぜたような顔がはめ込まれている。
ちょっと気持ち悪いわ、なんなん、あれ。地元の言葉で小さく叫んだら、タクシー運転手も確かにちらっとそっちを見たのに、無言のまま通り過ぎた。
変な物あったじゃろ。話しかけたのに、運転手は首を横に振った。「そういや何年か前、この辺のビルの地下室から死体が見つかった事件があったんですらぁ。ほぼ白骨化しとった上に、バラバラにされて段ボール箱に詰められとった」
まったくの身元不明で、いつ誰がそこに置いたかもわからない。行旅死亡人として遺骨は施設に保管されていると、どこか見覚えある運転手はいった。
自分はもしかして、まだ新幹線の中でうたた寝をしている。これは夢の中なのか。
「あんたが殺した、近所の男じゃないんですかな。死体も、ビルの上の何かも」
不意に、どこか見覚えある運転手は鏡越しに笑った。美穂は何も答えず、窓外の田舎町を見ていた。タクシーはこのまま、本当の故郷である南の島まで行くかもしれない。
【岩井志麻子先生のプロフィール】
- 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
- 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。