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岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第2回 はりまわしちゃる

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岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第2回 はりまわしちゃる

 幼い頃から優実は、自分の母は危うい人だとわかっていた。

「はりまわしちゃる」

 これが母のキレたときの決まり文句、口癖だった。故郷の言葉だが、共通語ではどういうかとなれば、難しい。たぶん、殴ってやる、となるのだろうが、ちょっと違う。

 殴ってやる、だと一発にも使える。はりまわしちゃる、というのは、一発では済まないのだ。ボコボコにしてやる、殴り回してやる、そちらに近いか。

 しかし殴るだと拳、グーだが、はりまわしちゃる、だと平手打ち、パーなのだ。何発も平手打ちを食らわせることこそ、はりまわしちゃる、である。つくづく、しみじみ、実に母に合った言い回しだなと、優実は聞かされるたびにため息をついていた。

 拳骨で殴ると確かな暴力行為になってしまうが、平手打ちだと暴力には違いなくても、

「思わず手が出てしもうたけど、パチンと軽く頬をはたいただけじゃ。殴っとらん」

 と言い張れる余地があるのだ。そして母は口ではそれを必ずいうが、実際に手を出したことはほとんどなかった。いや、娘はよくはりまわしていたが、逆襲してきたり警察に行きそうな他人にはしない。母はキレやすくはあるが、嫌な臆病さと計算高さもあった。

 普段は大人しい、なんとか普通の範疇にいる女ではあった。店員、清掃、軽作業、地道で真っ当な仕事もしていた。ただ、どれも長くは続かなかった。

 突然、キレるのだ。電車で隣の人がこっち向いてくしゃみした、店員がお辞儀をしなかった、後ろから来た自転車がベルを鳴らした、もしくは鳴らさなかった。それくらいのことで激怒し、相手を怒鳴りつけ、手は出さないが逃げる相手を追ったりする。

 とはいえ、毎回いちいちキレるわけでもない。道で強くぶつかられても平然としていたり、宅配の人が持ってきた料理がかなりこぼれていても、平気だったり。

 その、どこにスイッチがあるのかわからないのが怖かった。早めの離婚も、父も怖かったのだとわかる。父は穏やかな人と再婚したそうで、心底から祝福できる。

 優実も母によくキレられたが、相当に悪い成績をとってきても関心なさそうだったかと思えば、ささいな間違いにバカだ頭が悪いとしつこく罵りまくる。

 友達と遊んでつい帰りが遅くなっても、電話くらいしぃや、と軽くいなすときもあれば、六時に帰るといって六時十五分に帰ったら、玄関から蹴り出されて何時間も締め出された。

 うっかり母のスリッパをはいただけで、はりまわされたこともあった。

 持病を大げさに申告もして、いろいろな手当をもらっていたようだが、いつも近所の安い食堂で食べ、母だけはその後で安い居酒屋に出かけ、借金もないが貯金もない母子の小さなアパートでの暮らしは、まずは平穏に過ぎていった。

 優実が中学に入った夏、なぜか母がものすごいハイテンションで帰宅したことがあった。

「はりまわしちゃる、はりまわしちゃる、あっはっはぁ、きゃーっ」

 とげとげしい上機嫌さ、とでもいおうか。変にはしゃぎ回り、早口に冗談をいいまくり、やたら動き回って疲れ果て、敷きっぱなしの布団に倒れ込んで寝入ってしまった。

 起こしたら今度は怒鳴り散らされそうな予感がしたので、優実も寝ることにした。一応、上にも布団をかけてあげようと近づいたとき、妙なものを見た。

 ぼんやりと灰色の影みたいなものが、母の傍らに立っているのだ。煙のような湯気のようなそれは、母の周りをふわふわっと回って消えた。

 優実は霊感などないが、そのときはなんとなくわかった。死んだ人が母の元に来ていた、と。それは母を恨んでいる、ともわかった。

 しばらくして、そう遠くはない川から腐乱した溺死体があがった。同じ市内に住む中年女性で、事件も疑われたが事故で片づけられた。

 今も優実は、その人は母に殺されたと思っている。例によって実に些細なことで激高した母が、はりまわしはしなくても本当に突き落としてしまったに違いない。その後で帰ってきた母にまとわりついていた、灰色の影。あれは、殺された人なのだ。

 高校を出ると同時に家を出たが、優実もまた仕事が続かず男運もなく、四十を超えてほぼその日暮らしをしていたが、家に戻るのは嫌だった。殺人者と幽霊が怖かったのだ。

 その母が突然に倒れ、あっという間に衰弱した。死の間際に罪を告白することもなかったが、優実を見据えて最期につぶやいた。はりまわしちゃる、と。

【岩井志麻子先生のプロフィール】

  • 1964年12月5日、岡山県生まれ。1982年に第3回小説ジュニア短編小説新人賞佳作入賞。
  • 1999年『ぼっけえ、きょうてえ』が日本ホラー小説大賞を受賞し、翌年には山本周五郎賞を受賞。2020年現在、作家のほかタレントとしても活躍するマルチプレーヤーに。夕やけ大衆編集とは長年の飲み仲間でもある。
  • 岩井志麻子先生の「四畳半ホラー劇場」第2回 はりまわしちゃる

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