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※はじめに
この連載は中高年の皆様に素晴らしき日本の性文化への憧憬をさらに深めていただくために、東京・吉原に書店を構える「カストリ書房」の店主・渡辺豪氏に毎回、お勧めの本や雑誌を紹介いただくものです。
カストリ書房は遊郭専門書店として2015年に誕生し、店主の渡辺氏は自らも遊郭、赤線、青線があった地域を巡って聴き取り調査や取材を行なっており、これまでに訪れた場所は約500箇所。現在も書店を運営する傍ら様々な日本の性文化に関する文献の考察やイベントを行なっております。
夕やけ大衆では、そんな渡辺氏が未来永劫残したい「性書」を厳選してご紹介いたします。さあ皆様、知識と誘惑の扉を開いてみましょう。
〈夕やけ大衆編集長より〉
第3回『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』高木瑞穂著(彩図社)
三重県志摩半島の入り組んだリアス式海岸の入江に隠れるように、現代の女護島・売春島が存在する──
と、週刊誌が謎めかして紹介しても、いまやインターネットで性風俗情報が多く流通する現代にあっては、ちょっとした好事家なら「ああ、渡鹿野島ね・・・」と、少し醒め気味に島名を言い当てるかも知れない。
鳥羽市から車で約40分ほどの距離、的矢湾沖に本書で言うところの売春島、渡鹿野島がある。
私の記憶では数年前までは「W島」などとぼかして表記されることの多かった同島だが、近年では再生回数に「バズり」を期待するYouTuberが多く訪れ、もはやYouTubeでは枯れたコンテンツに成り下がっている。YouTubeで「渡鹿野島」を検索すると数十本の動画があがっている。
ある意味メジャーになり、本書のようにタイトルにまでおおっぴらに冠されるようになった。
ただ、これまでの情報は、遊客目線の体験談であったり、SNSで視聴者の歓心を買おうと「恐いもの見たさ」を充たす表層的なものに留まっていた。
ようやくノンフィクションと呼ぶに相応しい本が近年リリースされたのは、意外なほど遅かったかもしれない。
本書では、売春防止法が施行された後の昭和40年代ごろにスナックを隠れ蓑とした売春業が島を席巻しはじめ、やがて違法性風俗浄化の気運が高まった1990年代、そして2016年に同島と眼と鼻の先である賢島で開催された伊勢志摩サミットによって、ほぼ潰えた近年。この時期の関係者を取材した労作として仕上がっている。
実は、本書が取り上げる売春島は、かつての日本では珍しい存在ではなかった。
鉄道や国道が敷設整備される以前、前近代の物流は海上輸送が主役だった。沖から離れ過ぎず、飛び石のように点在する港を伝って輸送していた帆船は、海流や風向きに大きく影響された。
潮待ち、風待ちで港に碇泊することも多く、元来投機的な生業である船乗りたちを相手に、自然発生的に売春を営む娼婦が現れた。
私が調べた範囲では、北は青森県西津軽郡鰺ヶ沢(津軽藩の御用港として栄えた)の町史でも、こうした娼婦の存在が確認できた。三重県志摩半島特有の売春形態ではない。
とりわけ海上輸送が盛んだった瀬戸内海に浮かぶ大崎上島(広島県豊田郡)や大崎下島(広島県呉市)には、往時の妓楼がいまも現存しており、これらの島もかつては弦歌さんざめく売春島の様相を呈していた。
ただ、先に挙げた海運の要衝であった地域は、明治中期以降、鉄道・国道が整備され、物流が内陸に移動するにつれて売春業は凋落し、昭和33年施行された売春防止法によって潰えたのに対して、渡鹿野島が特異な点は、21世紀を迎えた近年まで売春業が盛んだった点だ。
私が最も興味を惹いたのは、戦後なぜ渡鹿野島が知る人ぞ知る売春島として広まったのかという謎を解き明かしている点だ。高度成長期以降に売春業が盛んになったのは群像劇と言ってもいいが、やはり個人や小組織単位のミクロな動きであり、一方、戦後に拡がった経緯は戦争史の一端だった。気になる方はご一読を。
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高木瑞穂『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社)
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