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テロリストから一橋家家臣に――渋沢栄一「女好き絶倫人生」39の秘密

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テロリストから一橋家家臣に――渋沢栄一「女好き絶倫人生」39の秘密

テロリストから一橋家家臣に

 その栄一は天保一一年(1840)に武蔵国血洗島村(現・埼玉県深谷市)の豪農の長男に生まれた。幼少年期には、すでに後の大実業家しての片鱗が窺える。

「5歳で漢文が読め、7歳で家塾を開いていた従兄の尾高惇忠について学問を修めました。そして13歳のとき、一人で藍葉の買いつけに行き、栄一を子どもだと思って相手にしない大人たちも、その知識に驚き、藍葉を安く買いつけることができたといいます」(県文化財保護課担当)

 だが、当時はやりの攘夷熱にうなされ、テロリストになる寸前だったとも。「栄一は最初期の尊王攘夷の志士でした。“外国人をやっつけろ”と、若気の至りではありませんが、過激な政治運動に身を投じていて命を捨てるぐらいの覚悟を持って動いていていました。大河ドラマでもそこら辺は描かれるのでは、と思っています」(前出の安藤氏)

 藍玉で儲けた金で武器を買い、群馬県にあった高崎城を乗っ取って武備を整え、横浜の居留地を焼き払って外国人を殺害する計画だったが、すんでのところで従兄弟に止められ、テロリストにならずにすんだのだ。

 江戸で一橋家家臣の平岡円四郎と知り合っていたことが幸いし、栄一は平岡の家臣として上京。慶喜に仕え、後に彼が徳川家の家督を継いだため、テロリストから一転、幕臣となった。

 さらに27歳のときに幸運が重なる。慶喜の弟・昭武が、フランスのパリで開催される万国博に出席する幕府使節団の団長に選ばれ、慶喜の命で使節団に随行したのだ。

「パリ万博に出品された巨大な鉄製の大砲や水圧式の最新エレベーターなど、当時の最新技術を目の当たりにして栄一は衝撃を受けました。また、銀行家のフリュリ・エラールに師事してのちに日本に取り入れられる資本主義経済の知識を学びました」(経済史研究家)

 帰国後、慶喜が謹慎していた静岡で「商法会所」(表参照)を設立。その手腕を買われて、栄一は大隈重信にスカウトされ、やがて大蔵省に出仕する。

「その大蔵省時代の上司が井上馨。彼は、少しでも仕事が遅れたら〈目から火が出るほどの小言をくらう〉(栄一の自伝より)という“パワハラ上司”。 栄一が31歳のとき「3日でやれ」という至上命令が下り、〈ほかの連中は2晩目になってことごとく兜を脱いだが、自分は3日3晩まんじりともせず働き通した〉と回想しています」(前出の全国紙文化部記者)

 しかし、栄一は大隈や大久保利通と財政問題で対立し、大蔵省を退官。その後も「渋沢を大蔵大臣に」という話を突っぱね、最後まで民間の実業家にこだわり続けた。

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