Catch Up
キャッチアップ
銀行や各種製造業など多くの企業の設立に携わった“明治の偉人”。実はあっちもお盛んだったようですぞ!
2月14日放送開始のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公は、吉沢亮が演じる渋沢栄一だ。ドラマをより楽しんでもらうため、この幕末明治の偉人の“秘密”をお届けしよう。
「2024年度から刷新される“新一万円札の顔”でもある栄一は、500以上の企業・団体の設立や運営に関係し、“日本資本主義の父”と呼ばれています。『論語』を愛し、生活困窮者らの収容施設・養育院の院長も務めた人格者です」(全国紙文化部記者)
そんな渋沢だが、意外や意外。芸者や遊女など、あちこちの女を妊娠させ、女中にまで手を出す女好きだったというから驚きだ。
「なにしろ、花柳界の遊びで5本の指に入り、一説によると“20人いたとされる子どもの多くは妾の子”だったといいます。さらに栄一の回顧録を調べると、ほぼ半年の間に2人の男子が出生しています。つまり、半年の間に2人の女性を孕ませたわけです」(前同)
そんな“絶倫人生”を送った栄一には、知られざる武勇伝があるという。
「68歳のときに東京・本郷に囲っていた妾に子どもを産ませた。そのときは、さすがの栄一も知人に“いや、お恥ずかしい。若気の至りで、つい……”といって禿げた頭をかいたといいます」(郷土史研究家)
栄一の四男の英雄の著書『父 渋沢栄一』(実業之日本社)によれば、〈父は晩年明石照男に「婦人関係以外は、一生を顧みて俯仰天地に恥じない」といったそうである〉と女性関係について反省している。
歴史家の安藤優一郎氏は次のように解説する。
「今の時代では許されませんが、昔はそういう時代であったと言えます。社会的に受け入れられていた時代ということです。それが良いとか悪いとかではありません。いわゆる“英雄色を好む”ではありませんが、そのような一面も持っていたということです。 公に尽くす一方で、そういった逸話も残っている。とても人間味があると言うか、 親しみのある興味深い人物だと思います」
だが、正妻からしたら皮肉の一つも言いたくなるはず。
「妻の兼子は“(栄一も)『論語』とはうまいものを見つけなさったよ。あれが(邪淫を禁じた)『聖書』だったら、てんで守れっこないものね”とボヤいていたといいます」(資料館学芸員)
だが、かくいう兼子もそもそも芸者志望で、栄一の最初の妻・千代の死後、口入屋に「妾の口ならあるけど」と、渋沢家を紹介されて来たといわれている。
最初の妻・千代と栄一は深川福住町から新居の神田裏神保町の邸へ引っ越すのだが、その際にも仰天の秘話が残っている。
「栄一が新居に妾を連れ帰り、妻妾同居を始めたんです。その妾が写っている写真を見た人によると、腰をひねった半身のこなし方が色っぽい美人だったといいます。栄一は明眸皓歯(美女)には勝てないと告白していますし、相当な面食いだったんでしょう」(前同)
そんな栄一が実業家として大成する前のフランス滞在中には、“パリジェンヌお持ち帰り疑惑”も。
面食いの栄一は彼女たちを見て、「玉のごとく」と称賛し、「一晩を明かした娼婦を日本へ連れ帰ろうとしたものの、断られたというゴシップが当時、囁かれていた」(同)とか。“徳の渋沢”と呼ばれた人物とは思えない肉食系の逸話だが、これが本当の若気の至りだろう。
「栄一が幕臣として京にいた当時、話し合いで決着したものの、女をめぐって新選組の隊士と揉め、連中が栄一の家へ乗り込んできたこともあったそうです」(前出の郷土史研究家)
だが、実業家として名を馳せた後も、こんな話が。
「札幌麦酒(現・サッポロビール)会長だった栄一に連絡を取ろうと、専務が妾宅を訪ねると、はっきり栄一だと分かる声で“かようなところに、渋沢のおるべき道理はありません。御用がおありなら、明朝、宅(本宅)をお訪ねくださいと、申し上げなさい”。女中にそう指示したといいます」(博物館職員)
逢瀬の最中に仕事の話などしたくない公私のけじめをつけていたのだ。
テロリストから一橋家家臣に――渋沢栄一「女好き絶倫人生」39の秘密