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2019年は令和という新しい時代が始まった記念すべき年でした。読者の皆様の中には昭和、平成に続いて、「令和の性春」を謳歌しているという方も少なくないでしょう。
振り返れば日本という国は戦後すぐから様々な風俗が発展してきました。
1945年に進駐軍専用の風俗として東京の大森海岸で生まれた『小町園』を皮切りに、大正時代から横浜にあった高級娼館『チャブ屋』も「外国人向け」として復活。チャブ屋は1階がダンスホールになっており、気に入った相手が入れば2階でチョメチョメできるというシステムでした。
その翌年には政府公認の売春宿として吉原、新宿、品川、向島、洲崎(千葉県)、南町(川崎)などで「赤線」が営業を開始。
その一方、政府非公認の売春宿は「青線」と呼ばれ、両者ともに好きモノたちで大盛況を博しました。
ちなみに赤線と青線の違いは営業地域の違いで当時、警察当局が公認に指定した売春街を赤線で囲い、非公認の売春街を青い線で囲ったことが由来しています。いずれものちにトルコ風呂、そして現在のソープランドへと発展していきます。ゆえに戦後から残るソープ街は当時の趣を現在まで残しているところも多く、散歩をしているとちょっとしたタイムスリップをした感覚に浸れます。
ちなみにソープランド(当時はトルコ風呂)第一号店は意外にも東京の銀座にありました。『東京温泉』という名称で、1958年(昭和33年)の赤線廃止よりも、はるか前から営業を開始していました。また、意外なことにその頃のサービスは今とは異なり「普通のマッサージだけ」でした。しかし、マッサージ師が全員美人だったことで全国に人気を轟かせていたようです。
業態が現在のソープランドと同じスタイルになるのは1960年代。最初はオスペ(手コキ)のみのサービスでしたが、吉原で客への「全身舐め」が生まれ爆発的なブームになり、さらに川崎・堀之内で「泡踊り」が生まれたことで、人気が不動の地位になりました。現在でも堀之内が「技の堀之内」と言われる由縁です。
その他、変わったところでは滋賀県の雄琴。当時の雄琴は何もウリがなく瀕死の状態の温泉街でしたが、ソープを作ったことで復活。今では日本有数のソープ街になっています。
常に時代とともにある風俗の歴史。この年末年始に訪ねてみてはいかが?
文責:編集長原田
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