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オトナのオトコには、遊び場所がたくさんあるけれど、「フーゾクの王様」といえば、やはりソープランドをおいて他にないだろう。日本に点在するそのソープ街でも、特にブランド力が高いのが東京・吉原だ。その艶やかな歴史をご紹介しよう。
「吉原の遊郭が完全に消滅したのは、1958年4月1日。売春防止法が施行され、350年に及ぶ遊郭の歴史は、幕を下ろしたんです」(当時を知る元風俗記者=現在は引退)
明治維新や2度の世界大戦を生き延びたその街は、今や落語や芝居に登場するのみになってしまった。
しかし、終わりがあれば、始まりがあるのも世の常。同じ年に、吉原初のトルコ風呂『東山』がオープンしている。
「目新しさもあって、東山は大盛況。その成功を目の当たりにした吉原の住人も、徐々にトルコ風呂をオープン。東京オリンピックを境に、吉原のトルコ風呂は雨後のタケノコのように増え続けました」(前同)
ご承知の通り、トルコ風呂とはソープランドの前名(84年に名称変更)。現在、「日本一のソープ街」と呼ばれる吉原が、このときに誕生した! と言いたいところだが、さにあらず。
35年にわたり、吉原の泡姫たちの写真を撮り続けてきたカメラマンの樹水(きすい)駿氏が証言する。
「僕がトルコ嬢を撮るようになった当時は、サービス内容などで優っていた札幌のススキノ、千葉の栄町、川崎の堀之内、滋賀の雄琴が4大トルコ街と呼ばれていました。吉原は、それらより格下でしたね」
前出の元風俗記者からも、それを裏づける証言が。
「当時の吉原は、他の街に比べて、“ばあさんばっかり”という評価でしたよ」
ところが、80年代前半に、ある画期的なシステムが導入され、状況が一変する。
「入浴料が1万円、サービス料が2万円の、“ワンツー”と呼ばれる料金体系です。それまでの相場は総額で1万3000円ほどだったので、倍以上の値段設定でしたが、女の子の取り分が多くなったため、若くてキレイな泡姫が大量に流入。サービスも濃厚になり、客足は一気に増加したんです」(前同)
そんな中、83年に起きた事件が、吉原の名を世間に轟き渡らせる。なんと世界的スターのアラン・ドロンが、お忍びで『歌磨』(現在は閉店)を訪れたのだ。
ちなみに同店は総額2万8000円(80分)の大衆店。天下の名優と穴兄弟になるべく、連日、彼のお相手を務めた丸千代嬢を指名する電話が鳴り止まなかったとか。
この時代の吉原の興隆には、ある人物の存在を無視するわけにはいかない。
「某一流企業から風俗業界に飛び込み、経営手腕を発揮した人がいたんです。吉原の関係者は、尊敬を込めて“花街の花咲かオジサン”と呼んでます」(同)
この花咲かオジサン、最初に店前で呼び込みをするよう命じられたときから才能を発揮。アッという間に「吉原で5本の指に入る呼び込み大名人」と称され、3か月後には系列店の店長に就任した。これ以降、傾きかけた店を立て続けに再建。軌道に乗ったところで後進に店長の座を譲った。
週刊大衆は当人との接触に成功。当時の話を聞くことができた。
「最盛期で15軒の系列店の面倒を見てました。秘訣? コンパニオンの自由出勤を取り入れたことですかねぇ」(花咲かオジサン)
勤務時間に融通がきくとあって、OLと掛け持ちする素人娘が働き始めるようになる。プロしかいなかった業界に、新たな息吹を吹き込んだのだ。
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明治維新や2度の世界大戦を生き延びたその街は、今や落語や芝居に登場するのみになってしまった。
しかし、終わりがあれば、始まりがあるのも世の常。同じ年に、吉原初のトルコ風呂『東山』がオープンしている。
「目新しさもあって、東山は大盛況。その成功を目の当たりにした吉原の住人も、徐々にトルコ風呂をオープン。東京オリンピックを境に、吉原のトルコ風呂は雨後のタケノコのように増え続けました」(前同)
ご承知の通り、トルコ風呂とはソープランドの前名(84年に名称変更)。現在、「日本一のソープ街」と呼ばれる吉原が、このときに誕生した! と言いたいところだが、さにあらず。
35年にわたり、吉原の泡姫たちの写真を撮り続けてきたカメラマンの樹水(きすい)駿氏が証言する。
「僕がトルコ嬢を撮るようになった当時は、サービス内容などで優っていた札幌のススキノ、千葉の栄町、川崎の堀之内、滋賀の雄琴が4大トルコ街と呼ばれていました。吉原は、それらより格下でしたね」
前出の元風俗記者からも、それを裏づける証言が。
「当時の吉原は、他の街に比べて、“ばあさんばっかり”という評価でしたよ」
ところが、80年代前半に、ある画期的なシステムが導入され、状況が一変する。
「入浴料が1万円、サービス料が2万円の、“ワンツー”と呼ばれる料金体系です。それまでの相場は総額で1万3000円ほどだったので、倍以上の値段設定でしたが、女の子の取り分が多くなったため、若くてキレイな泡姫が大量に流入。サービスも濃厚になり、客足は一気に増加したんです」(前同)
そんな中、83年に起きた事件が、吉原の名を世間に轟き渡らせる。なんと世界的スターのアラン・ドロンが、お忍びで『歌磨』(現在は閉店)を訪れたのだ。
ちなみに同店は総額2万8000円(80分)の大衆店。天下の名優と穴兄弟になるべく、連日、彼のお相手を務めた丸千代嬢を指名する電話が鳴り止まなかったとか。
この時代の吉原の興隆には、ある人物の存在を無視するわけにはいかない。
「某一流企業から風俗業界に飛び込み、経営手腕を発揮した人がいたんです。吉原の関係者は、尊敬を込めて“花街の花咲かオジサン”と呼んでます」(同)
この花咲かオジサン、最初に店前で呼び込みをするよう命じられたときから才能を発揮。アッという間に「吉原で5本の指に入る呼び込み大名人」と称され、3か月後には系列店の店長に就任した。これ以降、傾きかけた店を立て続けに再建。軌道に乗ったところで後進に店長の座を譲った。
週刊大衆は当人との接触に成功。当時の話を聞くことができた。
「最盛期で15軒の系列店の面倒を見てました。秘訣? コンパニオンの自由出勤を取り入れたことですかねぇ」(花咲かオジサン)
勤務時間に融通がきくとあって、OLと掛け持ちする素人娘が働き始めるようになる。プロしかいなかった業界に、新たな息吹を吹き込んだのだ。
日本一のソープランド街「ビックリ仰天ウラ話」!!~吉原ソープランド大百科
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